暮らすように旅をする

沖縄に移住した私が感じたことや体験したことを気まぐれに綴ってゆきます。

パリとスイーツ その1

 

こんばんは。SAKIです。

今日はパリとスイーツにまつわるお話を。

 

小学生からお菓子作りが好きで、母と一緒によくケーキやクッキーを焼いていた。実家にあるガスオーブンは年季が入っていて、母が結婚した時くらいに買ったものだと言っていた気がする。

 

オーブンで作る焼きっぱなしのケーキ(特にブラウニー)やクッキーが作った回数が多かったかもしれないな。

作ったら自慢げ&得意げになって家族みんなに食べてもらい、美味しい、また作って!の声がいつも嬉しかった。

 

中でもオレンジのティラミスが大人気だった(グレープフルーツバージョンもよく作ってた)。☜オーブン使ってない。笑 

定番のティラミスとは違って、スポンジにコアントローをきかせたシロップが染み込んだ、フルーツとチーズフィリングを層にするさっぱりしたティラミス。大きなガラスボウルに入れて層が見えるように、スプーンですくってお皿にサーブしてから食べるティラミスだった(懐かしい。食べたい。SAKI、作って〜笑)。

 

学生の時も、社会人になってもお菓子を焼いてラッピングしては学校の友達や先生にあげたり、職場の人に食べてもらってたなぁ〜

今思えば、みんなよく付き合ってくれてたなぁ〜 ありがたい。

 

そんなスイーツ好きが高じて、私は本屋さんに行ってはお菓子の本を探したり、パリのケーキ屋さん、お菓子屋さん、チョコレート屋さんシリーズの本を買い集めて、気づいたらパリに憧れを抱くようになっていた。

 

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高校生の頃に、図書室でいつも通りファッション雑誌ノンノをめくっていると料理創作ユニットのGomaさんのページを発見して、世の中にはこんな職業があるんだ!と、とても衝撃だったのを覚えている。初めて目にしたフードアートの世界。カラフルで見た目が可愛くて世界観にワクワクした。笑顔が可愛らしいステキな女性たち3人組。パリで個展をした経歴もあった。

 

高校生の多感な時期、周りは流行を追いかけ、ちゃんと女子高生をしている中、マニアックな話題ができる女友達が1人だけいた。その子は洋楽や海外の映画に詳しくて、私っぽいと思ったからとおもむろにMD(懐かしい。笑)を渡してくれて、家に帰って聴くと色んなジャンルの音楽が流れてきた。お互いに自分の興味のある世界観を共有し合っては、刺激を受けあってたな。

当時は兄のパソコンを借りて、Gomaさんのことを調べていたら上井草のちひろ美術館で絵本のクッキーのワークショップを開催するとの情報が。その子を誘って、無事にGomaさんに会えたのだった。

後日、当時のことをGomaさんに聞いたら私とその子は大人に囲まれた雰囲気とGomaさんに会えた興奮とで、目がキョロキョロ泳いでたらしい。笑 そりゃ、そうだよね。周りはみんな大人だったし、内容は可愛らしいけど大人に向けたワークショップだったからね。笑 よく頑張りました。笑

絵本のクッキーのワークショップは、本の形をした大きめのクッキーをベースに、2、3色ほどのデコレーションペンで好きなように絵を描いたり、小さなクッキーを貼り付けたり、というもの。私の作品はGomaさんにダイナミックだねと言われたことが印象的だったし、家に持ち帰ってクッキーを食べたらすごく美味しかった記憶がある。

 

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高校生を卒業して、私は百貨店に就職した。人と話すことが大好きだったし、洋服も好きだったから、婦人服飾課に配属されて嬉しかった。

ただ、社会は厳しく辛かった。高校を卒業して進学した友達のキラキラしたキャンパスライフがすごく羨ましかった。

それでも、社会のルールやマナーを学び、必死に先輩社員についていき、新人研修、店長とのミーティング、週に一度の別の部署の仕事などなど、ありとあらゆる仕事を自分なりに一生懸命頑張った。

後輩の新入社員が入社して、私と同期が先輩社員になって、だんだんと社会にも仕事にも慣れてきた頃のことだった。

 

 

突然、父が亡くなった。

 

 

 

私のパリ行きのきっかけとなる大きな出来事だった。

 

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パリとスイーツ その2に続く。