暮らすように旅をする

沖縄に移住した私が感じたことや体験したことを気まぐれに綴ってゆきます。

命日

 

こんばんは。SAKIです。

ようやく身体も心も少しずつではあるけど元気になってきました。

 

 

まずはお礼。

 

こんな私と根気強くいつも話をしてくれてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は父の命日。

 

 

 

 

 

 

 

私の父は寡黙な人で、自分の世界に没頭する人だった。

 

 

 

 

 

 

集中していると、私の話は聞こえないようで返事がないことがしょっちゅう。

 

 

 

 

 

 

何度もねぇねぇ、お父さん!聞いてる?って言わないとなんだ?って言ってくれなかったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が44歳の時にこの世に生まれた私。

すごく小さかったからか、家族みんなにとても可愛がられた。

 

 

 

 

 

 

 

私は昔から海が好きだったけど、父の背中につかまりながらの海水浴は酷かった。

 

 

 

 

父が海で小さい私をおぶさりながら泳ぎだし、私はがぶがぶと海水を飲みこんだ。

 

 

 

 

お父さん!と言ってももはや聞こえなかったようで、父は自由に泳いでいた。

 

 

 

 

 

その後の記憶はないから、きっと泣き叫んで母にでも助けてもらったのかもしれない。笑

 

 

 

 

 

 

 

夏になると地元の野外プールが解放され、父の自転車の後ろに乗せてもらいながらよく通った。

 

 

 

 

 

帰り道にある中華屋さん。

お持ち帰り用のカウンターで注文する焼きそばが大好きだった。

 

 

 

 

 

 

プールでクタクタになった身体が喜んでいるのがわかるくらい美味しくて、父に食べたいとせがんでよく買ってもらっていた。

 

 

 

 

家に帰ったらご飯があるからか、私が小さいからいっぱい食べられなかったかは覚えていないけど、1つを2人で外で食べた。父と一緒に食べるプラスチックの容器に入った焼きそば。美味しくてその時間が嬉しくて。

それがプール後の私のいつもの楽しみだった。

 

 

 

 

 

 

なぜ父の自転車の後ろかというと、父は若い頃に自分の運転する車で事故に遭い、後遺症が残りずっと足をひょこひょこさせながら歩いていた。(それから運転はできなくなったらしい)

 

 

 

 

 

 

そんな父の歩き方は父そのものという感じがして私は好きだったので、真似をして歩いていたら母に怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今になると父があの時どんな風に思っていたか、とか父に聞きたかったこと、や話したかったことがたくさんあるんだけれど、もう直接聞くことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

ただ今の自分だからこそ、だんだん父の気持ちがなんとなくわかるようになったり、同じ気持ちを感じていたんだろうなというふうに思ったりもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父はよく私の夢に登場して、不思議とさみしくないし、やっぱり見守ってくれているんだろうなと思うと感謝の気持ちになる。

 

 

 

 

 

 

 

父と過ごした時間は今思うと奇跡だった。

 

 

 

 

 

いつでもその瞬間、その時、そのタイミングで伝えたいことは相手にちゃんと伝えたいって思った。(言えない時もあるけど、そういう自分も認めよう)

 

 

 

 

 

父のおかげで私はたくさんのことを得られたし学ぶことができた。

 

 

 

 

 

 

お父さん、本当にありがとう。

 

 

 

 

 

ずっと大好きです。